[プロデューサー:小田泰之/編集・構成・演出:Team XXX、向悠一(「落下する友人」)/音楽・音響効果:ボン/編集・MAスタジオ:スタジオミック/製作:アムモ98/2017年2月3日リリース]
その部屋
自分のふだん暮している部屋で怪異が起こるのは恐ろしい。物理的には部屋から外へ出れば怪異からは逃れられるかもしれないが、精神は休まらない。だから、追いつめられてしまう。
自分の部屋が安住の地でないとしたら、なんとか恐怖から逃れる方法として、「布団をかぶる」という手がある。誰もが幼いころそうしたように。
だが、本作にはふたつの問題がある。ひとつは、そうやって目の前の状況から目を背けることで、かえって恐怖を増幅させてしまうこと。見えるのも嫌だが、見えないからこそ、見えないところで起こっているかもしれない現象に恐怖を覚えてしまう。
ふたつめは、ひとつめよりずっと大きな問題なのだが、布団のなかという“聖域”が侵されてしまうこと。
もはや絶望しか残らない。
不気味の谷
たとえば人に限りなく近いロボットに人は嫌悪感を抱く。簡単にいえばそれが「不気味の谷」だ。
本来は怪奇現象ではないのだが、相手がロボットではなく、生きた人間となれば奇妙な現象と言わざるをえない。
いや、じつのところ、〈人〉ではないのかもしれない——という疑問を抱かせるところに、本作の恐怖がある。
さらに本作に現われるモノは、なんらかの〈悪意〉に満ちているようにも思える。むしろこちらのほうが問題だ。
「不気味だねぇ」と呑気にかまえていると、思わぬ闇に引きずりこまれてしまう。
遺失物
映像に映りこむ〈人〉らしきモノが、得体のしれない存在であることはもはや自明。得体はしれないが、しかしある種の“概念”を適用することによって、表面上は論理的に説明がつけられる。そこが本作のポイントかもしれない。
もちろん、「合理的」とはとうていいえないが、必ずしも「雲をつかむような話」でもない。
かといって、それですべて解決とはいかず、そもそもなぜそうなったのかは不明なままなので、安心していられないのであるが。
ホラールーム
ちょっとした悪戯心で“ホラールーム”に仕立てようとしたら、ほんとうにホラールームに変貌してしまった。
あとで思い返せば、笑い話ですむような気もするが、なんのいわくもなく、ごくふつうのレンタルルームになぜそんな〈モノ〉が棲みついていたのか。
「もうその場所にはいかない」という対処法で解決する問題なのか。なんの変哲もない場所で怪異が起こったのなら、それは別の場所でも起こりうることを示している。
そのレンタルルームが、いかにも“出そう”な、不気味なたたずまいだったらどんなによかっただろう。
落下する友人
ちょっと奇妙な現象が大きな災厄を引き起こす。〈現象〉と〈災厄〉だけを見ると、両者に何の関係も見出せないが、じつは両者の間にもうひとつ奇怪な〈存在〉があり、それですべてがつながる(ように思える)。
A+B=Cの式が成り立つと、ちょっとした現象(A)も、とてつもなく恐ろしいものに思えてくる。奇怪な存在(B)もまたしかり。
大きな災厄(C)は客観的な事実であるのに対し、AとBは映像に映っているだけの脆弱なもの。とらえどころがなく、いつどこで同じようなことが起こっても不思議ではない。
となるとCもまた、映像を観るわれわれの身に降りかかってもおかしくはないことになる。
ラブホテルの鏡
廃墟を探索しながら撮影した映像に、撮った覚えのない場面が映りこむ——そう聞いただけで、“危険性”が推し量れる。
案の定、その場面は恐怖を観る者に与える。いや、むしろ嫌悪感かもしれない。生理的に受け入れがたい感じ。
つまりそれは、われわれの体が無意識のうちに危険を察知しているからかもしれない。そんな映像を観つづけてもいいものか。
そう思いながら、このパート『4』に収められた作品を振り返ると、やはり「観てはいけなかったのだ」と気づかされる。もう手遅れなのではあるが。
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