[プロデューサー:小田泰之/構成・編集:『死画像』蒐集調査班/制作スタッフ:しまだかをり・増本裕輔/音楽・音響効果:ボン/編集・MAスタジオ:スタジオミック/製作:アムモ98/2015年12月4日リリース]
〈呪われた心霊動画 XXX(トリプルエックス)〉シリーズは、心霊ビデオ愛好家に対する“挑戦状”。本サイトはそうとらえた。
恐怖のみを徹底的に追究し、観る者を怖がらせることだけを志向する。今日まで脈々とつづく心霊ビデオの系譜に連なりながらも、独自の恐怖表現を本シリーズは模索している。
本サイトはその創作姿勢を高く評価するとともに、制作陣から叩きつけられた挑戦を受け立つ。
まずは、前哨戦となるこの『死画像』から観ていこう。
錯死霊
これまで数々の異形が映像におさめられてきた。得体のしれないモノだけに、どういうカタチをし、どんな挙動を見せるのか、決まったパターンはない。
本作では、「もしも幽霊がこの世に存在し、カメラに記録することができるとしたら、こんな特徴を持っている」と、ひとつの答えを提示している。
永年、さまざまな怪奇映像を目にしてきた者として「なるほど、どうりで……」と妙に合点がいく。
とはいえ、合点がいくことで安心感を覚えるのではなく、新たな恐怖が生まれるのだが……。
死の報告者
心霊ビデオに記録される現象は、往々にして脆弱なものだ。光の加減とか見間違い、思い込み、こじつけの類いも多い。
しかし、まちがいなく怪現象は起こった。そう断言できるほど異形に存在感があればどうだろう? 撮影者のほかにその姿を目にしたり、声を聞いたりした人がいれば、怪現象の存在を否定することは難しい。
本作の投稿者が撮影したのは、厳然たる事実。相手は必ずしも「心霊」ではないかもしれないが、尋常ならざるモノであることは認めざるをえない。
霊感テスト
「霊感テスト」。このタイトルだけで恐怖心を催すのには十分だ。
本作の核心となる現象は、じつは有名な怪談の語り手が披露しているのを聞いたことがある。細部は異なっているが、既視感があったのは否めない。
ところが、本作はその怪談を映像化したものと考えると、とてつもない恐怖が押し寄せる。件の怪談を聞いていたときは、頭のなかで“映像”を想像していたわけだが、本作はその想像を超えるものであった。
本作の映像についてはっきりしているのはタイトルのみ。そのほかの詳細は一切不明。いわば大きな“穴”が空いている。観る者のココロはその“穴”に引きずり込まれてしまう。
歌声
心霊ビデオに映り込む現象は脆弱だと述べた。「死の報告者」では、複数人が異形とおぼしき存在を視覚や聴覚で認識することで、その現象が確固たる事実であることを示した。
本作では、複数のカメラが異形をとらえることで、その存在を証明する……いや、厳密にはとらえられていない。つじつまが合わない。不合理。
そこに恐怖が生まれている。
貫通
心霊ビデオでは、怪現象は人知れず始まっており、カメラがそこに向けられるか、撮影者が気づくことによって見出される。
本作では、恐るべき異形が姿を現わすが、注目すべきはそこではない。
日常と非日常の境目。怪現象の起こる瞬間が本作では記録されているのだ。その瞬間、だれも怪現象とは思わない。「あれ?」とちょっとした違和感が生じる。あとから振り返って、それが「始まり」だったと気づくのだ。
そんな怪現象の真実を本作では知ることができる。
クニコ
〈死〉とは、だれにとっても忌むべきもの。だが、われわれは毎日のように〈死〉に接している。
たとえば、テレビや新聞のニュース。事件や事故によって人が死んでいる。ときには死者に憐れみの念を抱いたりはするけれど、多くの場合、しょせんは他人事。すぐに意識や行動は日常へ戻っていく。
そんな他人事であるはずの、ニュースのなかの〈死〉が、われわれの日常に染み出してきたらどうなるか? ……いま仮に「日常に染み出して」と表現したが、それはいったいどういうことなのかはわからない。
本作の映像は、その一端を示しているのだろうが、全貌はもちろん不明。本作が見せる現象は氷山の一角にすぎず、その背後にはとてつもなく深い闇が広がっているのかもしれない。
そう思うと、震えが止まらない。
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