[構成:中村義洋・鈴木謙一/ナレーション:高橋眞三樹/1999年10月22日発売]
- 「作業服の男」★★★
- 「窓の外を落下する光」★★
- 「サイドミラーに映る女の顔」★
- 「自主映画に映った男の影」★
- 「神社の木に浮かぶ顔」★
- 「壁からのぞく白い影」★
- 「踏切りに現われた足」★
- 「事故を予知した警告の映像か…」★
- 「子供を呼ぶ声」★
- 「続・作業服の男」★★★
パート2のメインとなるのが「作業服の男」(★★★)だ。旅行をしているカップルが電車のなかで撮影した映像に〈それ〉は映る。
映像そのものはたいしたことない(はっきり言って、まったく怖くない)が、観た者がことごとく災難に見舞われているという恐るべきシロモノ。投稿者のまわりの人たちだけでなく、(のちにあきらかになるように)本作の視聴者にまで怪異が拡散する。そのため、怪談として凄みがある。まさしく「呪いのビデオ」というわけだ。
「もしかしたら自分も呪われるかも」と素直に怖がっておくのが本作の正しい楽しみかただが、あえて野暮なツッコミを入れるなら――。
体調を崩す、怪我をするなど、映像を観たあとになんらかの異変が生じる人は、確率的に必ず存在するだろう(存在しなければ、むしろ不自然)。たとえそれが本作の影響でなかったとしても、関連がないことを科学的に証明できない以上、映像と結びつけて考えてしまうはずだ。そういう人たちの事例を集めていけば、あたかも「呪い」が存在するように見えるわけだ。
たとえるなら、インターネットで検索機能を使って、都合のよい情報を集めているようなものだ。
本作に映る不可解な人物の素性は、『Special』の「続・作業服の男」であきらかになる。それをふまえると、これほどまで多くの人に影響を与えるとは考えにくいのだが……。
「もしかしたらこじつけかもしれない」と考える余地が本作に残されているのは、もちろん制作者の意図だろう。そうすることで、「ほどよいリアリティー」が生まれる。なかなか凝ったつくりの一編といえる。
「窓の外を落下する光」(★★)は、修学旅行で泊まった旅館で撮られた映像。確実になにかが落ちているように見える現実感がよい。その場所のいわくも合わせて考えると、少しだけ寒気がする。
「サイドミラーに映る女の顔」(★)は、ビデオカメラの試し撮りをしているときにとらえられたモノ。絵に描いたような心霊映像といった趣で、可もなく不可もなくといったところ。
「自主映画に映った男の影」(★)は、青春モノの映画を撮影しているときに異変が起こる。これもしっかりと〈影〉が映っている。あまりに自然で、合理的に説明のつくものなのではないかとすら思える。投稿者が映画サークルの学生であることを考えると、じつはトリックだったのではないかとも邪推してしまう。
かりに心霊現象だとして、現われたモノは〈霊〉の影なのか、それとも〈影〉そのものが本体なのか。
また、本題と別に大学の校舎の雰囲気もいい味を出しており、そこも見どころかもしれない。
「神社の木に浮かぶ顔」(★)は、犬の散歩をしているときに立ち寄った神社で撮影されたもの。ただ林を映したとしか思えない映像の一部を切りとって、「ここに奇妙なモノがっ!」と言われても観る側は困惑するしかない。
「壁からのぞく白い影」(★)は、道を歩く友人たちを映した映像。パート1の「大学校舎にて」に現われたモノに似ている。おなじ〈霊〉がまったく別の場所に出現した――ということなら怖いが、実際は素材を使いまわしているのだろう。
「踏切りに現われた足」(★)は、自殺が相次ぐ踏切に設置された監視カメラがとらえた現象。投稿映像そのものは怖くないが、スタッフの取材によってあきらかになる怪異の背景が凝っている。
「事故を予知した警告の映像か…」(★)は、河原でバーベキューを楽しむ様子がとらえられている。被写体の体の一部が消えるが、消えかたが微妙。「警告」というのも後づけで、結局は事故を起こしているのだから、「警告」になっていなかったことになる。
「子供を呼ぶ声」(★)は、妻と子どもが遊んでいる光景を撮影。はっきりと〈声〉が聴こえる。ということは、やはり実際にその場にいた人が発したものなのでは?(だれもいなかったというのは、投稿者の証言しかない)
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