[監修:鬼塚リュウジン/音楽・音響効果:荒井佑/2019年6月5日リリース]
- 「ツーリング」◆◆
- 「お葬式」◆◆
- 「ビデオレター」◆
- 「田中」◆◆◆
『41』の作品は、題材や怪異の表現はけっして悪くないのに、尺がいたずらに長いために冗長的で、質が低下している点が気になる。全体の尺を60分とすると1作品あたり約15分となるが、それぞれこの半分ぐらいの時間(7〜8分)で展開していれば満足感も高まったように思う。
「ツーリング」は、バイクで走行する様子を撮影していると怪異に遭遇する。怪異は王道のように見せかけて本シリーズらしいテイストで表現されているのは良い。ただ、やはりそこに至るまでが長い。小道具で雰囲気を盛り上げようとする意図はわかるのだが、それらがもう少し突飛な出現のしかたをしてもいいのでは?(道路に落ちているのでなく、空中から降ってくるとか)
「お葬式」は、妊婦が葬儀に出席する際の迷信にまつわる怪現象をとらえる。この不気味な題材に目をつけた着眼点は評価したい。だが、やはりムダな描写が多く焦点がぼけてしまっている。親戚が出かける前の様子を撮って「なにかあるぞ」と思わせ、帰宅したところで案の定となるが、意外にも……みたいな展開なしかたをするべきではなかろうか。投稿映像に映し出されたモノの意味をよくよく考えるとけっこう恐ろしいのだが、そこがうまく表現されておらず惜しい(それだけの時間は十分にあったはず)。
「ビデオレター」は、病に侵された父親が、別居している娘に送る映像を撮影していると奇妙な現象が映し出される。怪異そのものは本シリーズにしては地味。ただ、本作の肝はそこではなく、映像に映る父親と母親である投稿者の関係性なのかもしれない。だとすると、やはりその部分の描写が弱いように思う。15分の長尺であればそこにもっと注力すべきだし、その要素を省略するなら、やはり露骨な怪現象を短時間で見せるべきだった。
「田中」は、動画配信のために心霊スポットの廃屋に侵入すると怪異が撮影されてしまう。撮影場所に不気味な雰囲気が漂い、全編に緊張感が漂っている。出現する異形も悪くない。さて、本作は「田中」と“攻めている”タイトルになっている。われらが田中さんを否応なしに連想させ、本作を観ればタイトルの意味も腑には落ちる。ただ、本シリーズでは定番の「投稿者が曲者」のパターンだが、タイトルが“攻めている”のに、曲者ぶりが“攻めて”いない。もっとえげつなくやっても良かったのでは?
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