[演出:KANEDA/構成:KANEDA・新津徳也・美濃良偲/ナレーション:中村義洋/2019年9月4日発売]
- 「真夜中の滑り台」★
- 「野外トイレ」★
- 「リフト」★
- 「終・静止する身体 前編」★★
- 「手招き」★
- 「祖父の病室」★★
- 「鍾乳洞の男」★
- 「終・静止する身体 後編」★★
夏の三部作「静止する身体」(★★)が完結。尻切れトンボの観のある終わりかただが、本シリーズとしてはむしろ王道だろう。三部作をふりかえってみて、やはり致命的なのは映像がまったく怖くない点だ。本シリーズには、これまで何作も“黒い服の女”の登場するエピソードがあるので、よほどの奇抜さがないと観ている側は満足できない。外見やしぐさが“この世ならざるモノ”という感じがしない(非霊生者)のは、おそらく制作陣の意図どおりなのだろうが、それが悪い方向に働いて恐怖感をいたずらに削いでしまっている。これは『81』のクライマックスでも感じた欠陥だ。シリーズも100巻近くパートを重ねてきて、制作のハードルは上がっているかと思うが、制作陣にはなんとかそれを乗り越えてもらいたい。2つの★印は期待も込めた好意的な点数だ。
ほかの作品は、前巻とは異なり初見でわからないモノはほとんどなくなっている。しかし、全体的に現象が地味。だからこそホンモノらしいといえなくもないが、20年の伝統を誇る心霊ビデオシリーズの雄があつかうべき案件ではない。いくら「奇妙」とか「理屈では説明のつかない」映像であっても、勇気を持ってボツにするくらいの気概がほしいところだ。
もしかすると、「あからさまでない」ほうが「ホンモノらしい」ので、制作陣はそちらに舵を切っているのかも知れない(当ブログの邪推だが)。しかし、20年前ならともかく、いまとなってはそのアプローチはまちがっている、と個人的には考える。
「真夜中の滑り台」(★)は、真夜中に若者が公園で遊びながらカメラを回していると異界のモノと遭遇してしまう。なにか異様なモノが映りこんだことははっきりわかるが、なにが起こったのかわからない。その理由は簡単で、異形の出現が0.5秒遅いのだ。この世ならざるモノは撮影の都合を考えて登場したりしない——と好意的に解釈することはできるものの、結果的に恐怖感は削がれてしまっている。
「野外トイレ」(★)は、ドライブの途中で立ちよったトイレで、奇妙な存在をカメラにおさめてしまう。こちらの異形もはっきりと映り込んでくれたのはありがたい。ただ、その場にそのような存在がいたと考えると映りかたが不自然で、合成らしさが漂う。もうちょっと実在感があればよかったのだが。
「リフト」(★)は、山でリフトに乗っているときに不気味な存在に出会ってしまう。これはさすがに初見で見つけられる人は少ないだろう。したがって、投稿者がどうやってこれを見つけたのか疑問が残る。
「手招き」(★)は、実家に住みついた野良猫をなにげなく撮影していると、あの世のモノらしき人物が現われる。絵に描いたような心霊現象といった趣で、この期に及んでこんなありふれた現象を臆面もなく紹介するところに、かえってすがすがしさを感じてしまう。驚きも恐怖もないので評価はできないが、どこか懐かしさを覚えてしまうのは、魅力といえるかもしれない。
「祖父の病室」(★★)は、投稿者の祖父が入院した際に病室で撮られた映像に不気味な人物が映り込む。これも何度となく目撃した現象ではあるが、それなりに不気味に仕上がっている。本シリーズで紹介する映像としては、これくらいのクォリティが最低ラインだろう。
「鍾乳洞の男」(★)は、鍾乳洞で撮られた映像に不可思議な人物が映っていたというもの。撮影場所が鍾乳洞だから、あちこちに“闇”がある。つまり、どこにでも“怪異”を仕込める。それはすなわち、異形がどこに出現してもおかしくない、裏を返せばどこに出現したかわかりづらい、ということになる。案の定、初見では見つけられず。奇妙な男が「のぞき込んでいる」とナレーションは説明するが、そのようには見えず、正面から撮られた写真を合成で貼りつけただけだろう。
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