〈フェイクドキュメンタリーQ〉に空けられた〈穴〉を埋めるには?
本シリーズには大小さまざまな〈穴〉が空けられている。もっとも大きなものは次のように考えると埋められるのではないか。
フェイクをつくっていたらホンモノになってしまった
これが〈フェイクドキュメンタリーQ〉シリーズの底流にある真実だと私は解釈している(ただし、小さい〈穴〉はそれぞれ考察していく必要がある)。
もっとも象徴的なのが、『Q1「フェイクドキュメンタリー」』で、フェイクドキュメンタリーをつくっていたスタッフがホンモノの“呪い”を生み出してしまう様子が描かれている(もちろん、別の解釈もありえるが)。
そして、〈真実〉をもう少し深く考察するならば、
本シリーズの映像は、それぞれ「フェイクをつくる(原因)」と、「ホンモノの怪現象が起こる(結果)」のいずれかに分類できる
と考えられる。
ただ、ここで注意点がある。現在までに13本の作品がアップロードされているが、それぞれの怪異に因果関係はあるだろうか?
たとえば、『Q10「来訪」』では、異界のモノとおぼしき〈黒い影〉を呼び出している。
〈黒い影〉は、たとえば『Q4「祓 -はらえ-」』にも出現する。
『Q2「深夜の留守番電話」』では、「鏡の中で……」などという不可思議な音声が記録されており、だれもが『Q5「鏡の家」』を連想する。
では、『Q10「来訪」』で呼び出された〈黒い影〉が『Q4「祓 -はらえ-」』に現われたのだろうか? 両者の舞台となる民家はおなじなのだろうか? その考えかたももちろん成り立つが、私はその説を採用しない。その代わりに
それぞれの作品は独立した怪現象をとらえているが、メタ的には関連している
と考える。
どういうことか?
『Q4「祓 -はらえ-」』の〈黒い影〉は『Q10「来訪」』の儀式で呼び出されたモノではないが、似たような儀式が別のどこかで行われ、その〈結果〉が『Q4「祓 -はらえ-」』の〈黒い影〉であるとする。両者の作品に直接的な因果関係はないものの、〈結果〉の〈原因〉を探るヒントにはなっている、と考えるわけだ。
具体的に確認してみよう。
『Q2「深夜の留守番電話」』で言及されている「鏡のなか」は、『Q5「鏡の家」』とは表面上は無関係なのだが、別の場所で似たような(あるいはおなじ)方法をとった者がほかにいたために、両者で似たような怪異が起こったと考えられる。
そうなると、『Q3「遺品」』にも登場する〈黒い影〉は、なんらかの理由で友人たちが画像に合成したものではないか、と想像できる。
しかし、その行動によってホンモノの異形を生み出してしまった。『Q3「遺品」』という〈原因〉による〈結果〉が『Q6「目的地」』なのだろう。
『Q7「或るブログ」』はやや変則的で、ある人物が〈原因〉をつくり、その〈結果〉を当人が引き受けることになってしまった(『Q1「フェイクドキュメンタリー」』とおなじパターン)。
『 Q8「光の聖域」』は、いまのところ〈結果〉のみが描かれ、〈原因〉を示す作品は存在していない。やはりイレギュラーのパターンだ。
『Q9「献花」』には、やはり〈黒い影〉が出現している、つまり〈結果〉を示す作品。
『 Q11「似顔絵」』は、おそらく〈原因〉が描かれ、〈結果〉は示されていない(『 Q8「光の聖域」』と逆のパターン)。
ところで、あらためて〈フェイクドキュメンタリーQ〉というタイトルの意味を考えてみたい。
「フェイク」とは「ニセモノ」の意ではなく、あくまでもホンモノを生み出す儀式。まだ「ホンモノ」になっていないから「フェイク」。「ホンモノ」の前段階としての「フェイク」、と考えるといろいろ合点がいく。
魚釣りに使う擬似餌(フェイク)は、生き物でないという意味ではニセモノだが、実際に魚を釣れるのだからホンモノともいえるわけだ。
「フェイクドキュメンタリーQ」のタイトルが持つ真の意味。それは、フェイク(=ニセモノ)がドキュメンタリー(=ホンモノ)になる、ということなのだ。
その点をふまえて『Q12「ラスト・カウントダウン」』を観てみよう。
内容はフェイク映像の詰め合わせといった趣。つまり、怪異の〈原因〉となる映像を集めたものだ。では、〈結果〉はどうなったか? 〈結果〉に相当する作品は見当たらない。そこで、この映像がだれに向けてつくられたものか(だれがこの映像を観ているか)を考えると、恐るべき答えが見つかる。そう。映像を観ているのは私たち。つまり、〈結果〉としての怪現象は、私たちの身に起こるかもしれな
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